▲企画からデザインまで、このMACで行っていく。


▲難しいといわれる金の染めものまで。

  「水と空気以外は何でも染めます」。サワテクニカルアートの代表取締役である澤村氏はそう公言する。現にシルク印刷を行なっている中で、様々な物を”染めて”きた。  帝国ホテルの靴のヒール部分に印刷を施したり、ディズニーシーの第一回目のイベントで使用する旗の染めの依頼がどこにも出来ないからということでまわってきて成功させてしまう。誰もが出来ないことにチャレンジしてきた。
「誰もやっていないから仕事を引き受ることに意義がある」と語る。
 他にも、市議会の公明党のタスキの印刷を現在区全体から請け負っているが、初めは1人の議員のものであった。その議員が選挙に当選し、縁起を担いで、区全体から依頼が舞い込んできた。  1972年2月3日札幌オリンピック、1998年2月7日長野オリンピックの回転旗の印刷も行い、社台スタリオンステーションの馬服、三菱自動車の新車のクッション、ミッドタウンのホテルのカーテン、三井住友銀行の社長賞の旗など・・・様々なものに印刷してきた。常に新しいことに挑戦してきたからこそ、相談事はサワさんへというのが業界の流れになった。
 仕入先のインクメーカーも試作品が出来たら真っ先に、持込アドバイスを仰ぐ。このインクはどんなものに印刷が可能か?今までの経験や知識をもとに判断する。それを繰り返すうちに、自然と最先端の技術が集まるようになり、”誰も出来ないこと”が可能となった。











 そんな、サワテクニカルアートの立ち上げは楽なものではなかった。澤村氏は15歳で刺繍の世界に足を踏み入れた。浅草にあるイシイというボーリングウェアの個人ネーム刺繍を生業にしていた会社に10年勤めた。その後、現企業に迷惑がかからないように、違う業界へ転進。それは、のれんやのぼりを染めるシルク印刷の世界であった。
 旗屋はもともと閉鎖的であり、どこかの企業に勤めてからでなければ、独立は難しい世界。1番大手の旗屋に訪問したときに、「紹介なしで来たのは初めてだ」といわれる。初めはインクすら分けてもらえず、仕事を探す為に、名刺を自作し、神田にあるNTTに行き電話帳をみては、営業をかけていくなど地道な活動を行なっていった。その時に、「他と違うことをしないと生き残れない」と身に染みたという。綿を染めていくのが一般的な手法であったが、染めた綿に対して、白のインクを載せていくやり方を行い、表現の幅を広げていき、取引先を獲得していった。
 30年前にサワ工芸として立ち上げ、20年前に社名をサワテクニカルアートへ変更。「社名だけでは何をしている会社か分からない」と言われることが多いというが、逆にそれが、印刷業の枠にとらわれない企業理念を象徴している。
 提案もお客様が言ったことをするのではなく、企画から提案する。レースツアーの空港での待ち合わせ場所に旗を作って欲しいという依頼があったが、10Mの長さのものを提案。案の定、お客様からは喜ばれ、その後も注文が繋がった。





設立当時は社員を6,7名抱えていたが、現在では、夫婦二人三脚で会社を切り盛りしている。これからは、会社を大きくするのではなく、現在の仕事を若手に教えていくことに力を入れている。独立する気で働かなければ身にならないという姿勢で接してきた。アルバイトで雇っていた教え子が、大手メーカーの工場長になり、そこから仕事の依頼があったりと、人と人との繋がりが仕事を生んでいる。また、お客様を育てることが自分を育てることと一緒であるという考えが、様々な受注に繋がり、不況といわれる印刷業界でも、生き残これている原動力になっている。

納期と品質を満足するまで追求することはもちろんだが、誰もやらないことに常に挑戦し続ける姿勢が、顧客から信頼を生み、また、若手からも指示される所以である。



現在では夫婦二人三脚で会社を切り盛りしている
右:澤村社長 左:奥様


 様々なものに挑戦し続けてきた、澤村さんのお話に刺激を頂きました。ホームセンターに通うのがお好きなで、そこからアイデアを練り、道具のヒントにしたりと仕事と遊びを一緒にしていたのが印象的。出来ないと言われることでもまずは、チャレンジしてみる精神を見習っていきたと思いました。

株式会社サワテクニカルアート
創業:1977年
〒170-0005
東京都豊島区南大塚2丁目24-1
代表取締役:澤村信久
TEL:03-3944-5322
業務内容:スクリーン印刷業